文学の秋【悪人/吉田修一】小説・映画レビュー&考察

 

皆さんは、どんな秋をお楽しみですか?

 

我が家では「スポーツの秋」ということで、先日、プロバスケットボールの試合を観に行ってきました。

 

 

私はスポーツにとんでもなく疎いのですが、迫力があり、歌や踊りや太鼓もあり、とても楽しく観戦させていただきました。

 

そして、やっぱり「読書の秋」ということで、文学好きの父に小説を借り、どっぷり文学に浸っています。

 

 

今回は、吉田修一さんの小説【悪人】【怒り】【さよなら渓谷】を借りたので、こちらを読んで映画を観たいと思います。

 

 

「悪人」と「怒り」は、川村元気さんが映画をプロデュースされており、李相日さんが監督をされたということで、

 

実力のある方たちが集結して制作した映画だけあって、本当に面白かったです。俳優陣も本当に素晴らしい✨

 

川村元気さんの作品はいくつか観ていますが、その中でも「悪人」は特に印象に残っています。

 

小説もとても素晴らしいと父が勧めてくれたので、最初は【悪人】を読みました。本当に面白くて一日で読了。続きが気になってしまって、一気に読めました。

  

映画の「悪人」も改めて観ましたが、やはりとても素晴らしい映画でした。

 

映画の方は3年くらい前に一度観ているのですが、小説と併せて観たことで、より登場人物一人一人の人物像が浮かび上がり、とても良かったです。

 

ただ、とても切ない気持ちにはなりますが・・・

 

人の中に存在する、「善」と「悪」

 

誰が悪人で、誰が善人なのかと、考えさせられる物語です。

 

 

〈以下ネタバレを含みます。まだ観ていない方は、是非、映画を観てからお読みください🙏🏻〉

 

主人公の妻夫木聡さん演じる祐一は、殺人犯なわけですから、当然世間や遺族、殺害された満島ひかりさん演じる佳乃にとっては「悪人」であり、その事実は疑う余地などありません。

 

ですが、祐一を育ててきた祖母や、介護をしてきた祖父にとって、また祐一を心から愛していた深津絵里さん演じる光代にとっては、祐一は悪人ではなく、「愛する人」「大切な人」です。

 

殺人は犯していない為、刑法上罰せられることはないけれど、岡田将生さん演じる増尾という男は相当なクズであり、悪人とは彼のような人間のことをいうのではないかと、佳乃の父(柄本明さん)は増尾を憎み、増尾を殺すことを心に誓うのですが

 

ただ、娘が殺されたからといって、その殺されるきっかけを作った大学生を憎み、殺そうとするお父さんが善なのかというと・・・

 

復讐であったとしても人を傷つけることが善なわけではありません。(実際お父さんは増尾を殺すことはできませんでしたが、お父さんの言葉や考えには心を打たれます。) 

 

佳乃が援助交際をしていたことがマスコミに報道されると、佳乃の名誉は汚され、実家にはたくさんの誹謗中傷が届きます。

 

ワイドショーで何も知らずに偉そうに語るコメンテーターも、面白おかしく事実を捻じ曲げ報道するマスコミも、誹謗中傷する人たちも、正義の仮面を被った悪人ではないかと、

 

この世の中には、本当にたくさんの「悪」が存在するのだなと、恐ろしくなる一方で・・・

 

殺人犯である祐一の、愛や健気さをたくさん感じられる描写があるから、とても悔しくもどかしい。(映画では省かれているエピソードがたくさんあるので、映画だけでは祐一という人物が掴みづらいところがありますが、小説でははっきりと祐一という人物が浮かび上がりました。)

 

そして、私がとても感じたことは、

 

祐一も、佳乃も、光代も、「心の癒し」や「肌の温もり」を求めていたということ。

 

他人との繋がりを感じたくて、

自分は独りではないと信じたくて、

 

誰かに必要とされたい、

触れられたい、

癒されたいと

 

孤独感に苛まれながら、出会い系サイトで出会いを求める人たちの姿がリアルに描かれています。

 

祐一は、幼い頃に父親が出奔し、母親にも捨てられてしまいます。その後は母方の祖父母に引き取られ、養子になり、育ててもらいました。

 

老人しか住んでいない田舎の集落に唯一いる若者ということで、自分の祖父の介護の他に、他所の家の老人を病院に連れて行くことも、重い買い物をしてあげることもありました。

 

解体業の仕事には真面目に取り組み、唯一の趣味は車で、喫煙もギャンブルもしない青年なのですが、

 

コミュニケーションが極度に下手であり、母親に捨てられたという闇を心に抱えています。(祐一は母親のことを憎んではおらず、どんな母親であっても子供にとっては大切な人なんだなと感じられるエピソードが小説にはありますが、母親に捨てられたことがトラウマになっていることは確か。)

 

田舎の閉塞感の中で、ただ淡々と仕事と介護をこなし、不器用であるがゆえに恋人もおらず、そして色々なことが絡まって今回このような罪を犯してしまうわけなのですが・・・

 

「死んだように生きてきた。どうして自分はこんな人間なのか」と泣きながら吐露するシーンは、

 

今まで心を見せなかった祐一が、初めて本音を語ってくれたような気がして心に刺さり、殺人者なのだけど守ってあげたくなる。完全に悪人だとは思えないからこそ、とても切なくなりました。

 

もちろん、殺人犯を肯定してはならないのだけど・・・という理性と感情が一致しないもどかしさを残すところが、この作品の見所でもあり、賛否両論を生む原因なのだと思います。

 

 

祐一が逮捕されるシーンでは、心から愛した女性である光代の首を締めるという暴挙に出ます。

 

その意図は、光代を守る為であり、光代が「殺人犯と一緒に逃亡していた人」ではなく、「誘拐・拉致されていた人」と周りに思わせることによって、光代の罪をなかったことにする為。

 

不器用な愛し方ではありますが、そのおかげで事件後、光代は日常を取り戻すことができました。

 

そして祐一の愛が光代にはしっかり届いていましたから、世間がどれだけ祐一を悪人呼ばわりしようとも、光代は心の奥底では祐一の愛を感じながらずっと生きていくのだと思います。

 

本当に切ない・・・

 

 

光代の首を締め殺そうとはしたものの、警察に取り押さえられながら光代の手を必死にとろうとするシーンが本当に泣けてしまいます。。

 

小説では、ここのシーンの感動はそこまでではなかったのですが、やはり映画はプロデューサー、監督、俳優、音楽すべてが本当に素晴らしくて、まさに総合芸術だなぁと思いました。

 

そして私が最も心打たれたのは、樹木希林さん演じる祐一のおばあちゃんの姿。

 

祐一を「自分の息子だ」と言い、母親に捨てられた祐一が寂しくないようにと、深い愛情と責任感を持って育ててきたのですから、当然最初は、孫が起こした事件に戸惑い、受け入れられずにいました。息子が悪人だと思えなくて当然です。

 

ですが、とあることをきっかけに、事件を受け入れ、祐一の罪を共に背負い、償っていこうという強い意志と決意を持つように。

 

最後のシーンで光代が事件現場を訪れた際に、祐一が初任給でおばあちゃんにプレゼントしたというオレンジ色のスカーフと、お弁当が供えられていました。(小説ではスカーフはおばあちゃんが自分で買うのですが)

 

そんなさりげない演出からも、おばあちゃんの気持ちを感じることができました。

 

本当にお勧めの小説、映画ですので、まだ体験されていない方は是非体験されてみてくださいね。

 

それでは、急に寒くなりましたので、風邪を引かれませんようご自愛くださいませ^^

MARIA LILY