
正直に言うと、私はこれまで、いわゆる「古典的な占星術」に懐疑的でした。
「いつ結婚できるか」
「仕事は成功するか」
「今日は吉か凶か」
そんなふうに、星の配置によってあらかじめ決められた未来を予言するような占星術に対し、私はずっと違和感を抱いていました。
よくSNSで、「ボイドタイムだから、メールが送れなかった」「水星逆行中だから、電車が遅れた」
そんな投稿を見るたびに、私は心の中でツッコミを入れていました。
「いや、単なる通信エラーか、ダイヤの乱れでしょう?」と。
自分のミスや偶然のトラブルを、安易に星のせいにすることや、
「星が物理的に悪さをしている」かのように語る因果律的なスピリチュアルに、
私はどうしても馴染めなかったのです。

私がタロットを通じて伝えたいことは、「未来を当てること」ではなく、
「今の自分に気づき、無意識を意識化することで、より主体的に未来を創造すること」です。
だからこそ、人間の主体性を奪い、外部要因によって運命が決まっているかのように刷り込む占星術や占いを、自分のツールとして採用することは避けてきました。
ですが、どうしても無視できない「事実」があります。
それは、自分自身や、私の息子・娘の出生時のホロスコープを読んだ時のことです。
そこには、言葉を失うほど的確に、子供たちそれぞれの個性、性格、魂の輪郭とも言えるものが記されていたのです。
「なぜ・・・?」
物理的に考えれば、遥か彼方の惑星が、地上の人間に直接的な影響を与えるなどとは考えにくい。
それなのに、なぜ生まれた日時と場所だけで、その人個人の性格や性質、心の機微までもが、こんなにも鮮明に浮かび上がってくるのか。
天体と人間の間に、直接的な因果関係があるとは説明しきれない。
けれど、そこには間違いなく、言葉では表現できない「何か」、巨大な法則のようなものが働いている。
その正体不明の「何か」への畏怖。
理屈では否定したいのに、現実は否定できないという葛藤。
その答えを、私はある一冊の本の中に見つけました。

ユング思想の起源としての占星術と魔術』
リズ・グリーン / 著 鏡リュウジ / 監訳
この本の序章で、グリーンはある言葉を引用しています。
「哀れな学問(wretched subject)」
歴史学者オットー・ノイゲバウアーが、占星術を含む「境界領域」に対して使った表現です。
宗教なのか、科学なのか、心理学なのか。
魔術なのか、哲学なのか、詩なのか。
どこにも属さない。どこからも認められない。
それでいて、太古の昔から人類と共に在り続けた。
そんな「哀れな学問」を、ユングは一生をかけて探究したのです。
学問の世界には、大きく分けて二つの領域があります。
一つは、数学や物理学のように、客観的で測定可能な「科学」の領域。
もう一つは、信仰や美意識のように、主観的で内面的な「宗教」「芸術」の領域。
しかし、この世界には、そのどちらの箱にも収まらない「あわい」の場所が存在します。
それが「境界領域(リミナル)」です。

占星術はまさに、この境界に存在します。
天体の運行という数学的・科学的な計算を用いながら、
そこで語られるのは神話の神々であり、魂の宿命という宗教的なテーマです。
科学者からは「非科学的だ」と排斥され、
宗教家からは「異端である」と嫌われる。
この「どっちつかずの場所」にこそ、
ユングは人間の心の深層を解き明かす鍵があると考えました。
物質(星)と精神(心)
外側の世界と、内側の世界
これらが溶け合い、互いに響き合う場所。
占星術は、ユングにとって単なる「占い」ではありませんでした。
それは、人間の無意識を映し出す「鏡」であり、
切り離されてしまった「私」と「宇宙」を再び結びつけるための、失われた架け橋だったのです。
(少し余談ですが、昨年の夏休みに地元のプラネタリウムで『星はここにある』という作品を鑑賞しました。切り離されてしまった「私」と「宇宙」の美しい繋がりを描いた素晴らしい作品で、今でもその余韻が心に残っています。今、孤独を感じている方に、ぜひ観ていただきたい作品です。)

私自身、タロットを探究する中で、同じことを感じてきました。
タロットは、未来を予言するものではありません。ましてや、自分以外の誰かの心を覗き込むためのものでもありません。
あなたの無意識に沈んでいる「本音」を映し出す鏡です。
カードに描かれた象徴は、あなたの内側にある何かと共鳴し、言葉にならない感情を浮かび上がらせる。
占星術も、タロットも、本質は同じです。
星が共時性(シンクロニシティ)に満ちているように、
タロットもまた、人知を超えた共時性や、畏怖さえ覚えるような「何か」が確かに働いている。
だからこそ、私たちはその神秘的な世界に魅了されずにはいられないのです。

「占いなんて怪しい。科学的根拠がない。」
そう言われることもあるでしょう。当然です。
確かに、現代の科学では説明のつかないことばかりです。
でも、グリーンはこう問いかけます。
「占星術という生きた伝統を切り刻んでシャーレに入れてしまえば、それを理解することから離れてしまうのではないか」
花を解剖すれば、花びらの構造は分かるかもしれない。
でも、その花がなぜ美しいのか、なぜ心を動かすのかは、解剖では分からない。
私たちの心もまた、解剖では届かない領域を持っています。
その領域に触れるために、人類は何千年もの間、星を見上げ、内なる声に耳を澄ませてきたのです。
説明がつかないからといって、「ない」ことにはならない。
では、ユングは実際にホロスコープをどのように捉え、心理学に活かしていたのでしょうか。
そこには、現代の私たちにも通じる、「魂の地図」がありました。

1. ホロスコープは「心の神々」の地図である
ユング心理学の重要な概念に「コンプレックス」があります。
これは単なる劣等感のことではなく、心の中で自律的に動き回り、時に私たちを支配する「感情に色付けされた心のしこり」のことです。
ユングは、ホロスコープにおける惑星の配置こそが、この「コンプレックス」を象徴していると考えました。
惑星は、物理的な星であると同時に、私たちの心の中に住む「ギリシャ神話の神々」です。
心理学の言葉で言えば、「元型(アーキタイプ)」と呼ばれる、人類に共通する心のパターンのこと。
例えば、火星と土星が激しい角度を取っている時。それは「不運な星回り」なのではなく、
あなたの心の中で「戦いの神アレス(攻撃性)」と「老賢人クロノス(規律・抑圧)」という二つのアーキタイプが葛藤し合っている状態を、鏡のように映し出しているのです。
ペルソナやシャドウといった心の働きだけでなく、私たちの無意識の奥底には様々なアーキタイプが息づいています。
何千年も前から語り継がれている神話の神々の中に、ユングはその人類普遍のパターンを見出していたのです。
ユングにとってホロスコープを読むことは、未来予知ではなく、
「今、私の心の中で、どの神とどの神が対話し、あるいは喧嘩しているのか」という、無意識のドラマを可視化する作業だったのです。

アリエル・ガットマン ケネス・ジョンソン /著
伊泉龍一 nico /訳
2. 「四元素」は最古の性格分析ツール
ユングは「四元素(火・地・風・水)」を、人間の意識の構造を理解するための「最初の青写真(ブループリント)」だと捉えていました。
この四元素の思想は、占星術やタロットカードの小アルカナのベースになっているだけでなく、現代の性格診断や適性検査のルーツにもなっています。
ユングが提唱した「タイプ論」も、この四元素と密接にリンクしています。
直観は火(情熱、ひらめき)、感覚は地(現実、五感、安定)、思考は風(知性、論理、客観)、感情は水(共感、情緒、融合)に対応します。
占星術の四元素は、単なる属性ではなく、私たちが世界をどう認識しているかという「心のレンズ」の種類を教えてくれるのです。

3. 「宿命」と「自由意志」のパラドックス
そして、最も興味深いのが「宿命」についての考え方です。
古代、星の配置は「ヘイマルメネー(星の強制力)」と呼ばれていました。
しかしユングは、ここに「パラドックス(逆説)」を見出しました。
多くの人は、無意識に操られて意思決定している状態を「自由意志」だと勘違いしています。
「こうしなきゃ」「普通はこうだ」という刷り込みに従っている時、私たちは自由なようでいて、実は「無意識の奴隷」になっているのです。
ユングはこう言いました。
「性格こそが、その人の宿命である」
自分の「変えられない性質(宿命)」を深く知り、それを受け入れた時。
逆説的ですが、私たちは初めて無意識の支配から抜け出し、本当の意味で人生を選び取る「自由」を手にするのです。
ユングは「自由意志」をこう定義しました。
「自由意志とは、自分がしなければならないことを、喜んで自由に行うことだ」
この「しなければならないこと」とは、日々の義務のことではありません。
「自分の魂が、どうしてもそう在ろうとする性質」のことです。

例えば、私の場合でいうと、私は、太陽・月・水星がすべて「魚座」にあります。
これは、他者との境界線が薄く、相手の感情が自分の中に流れ込んでくるような、いわゆるHSP(Highly Sensitive Person)的な性質を強く持っていることを示しています。
もし私がこの性質を受け入れず、軍神アレスのような「剛健な戦士」のアーキタイプに憧れ、自分をそうなれるように矯正しようとしたらどうなるでしょうか。
それは一見、自由意志のように見えて、実は自分自身の「魂の設計図」にないものになろうとする無益な戦いであり、苦悩を生み出すだけです。
実際に、私は10代から20代にかけて、そんな自分の性格を「自分は人よりも弱いんだ」「もっと強くならなければ生きていけない」と思い込み、良かれと思って自分に鞭を打ち続けた結果、心も体もボロボロに疲弊してしまいました。
その時の私は、まさに「無意識の奴隷」でした。
しかし、私が、自分自身の「変えようとしても変えられないこの性格(宿命)」を受け入れ、
「だからこそ、人の無意識に光を当てることができるのだ」と理解し、
セラピストやタロットリーダーのような、他者の心の働きを理解する仕事や、
「形のないものを汲み取る」魚座の性質を活かし、心のように曖昧で、リミナルな領域を言語化する仕事を選ぶとしたら、
それは自己犠牲でも苦役でもなく、魂が震えるような喜びに繋がります。
これこそが、「自分がしなければならないこと(持って生まれた性質)を、喜んで自由に行う」という、
ユングの言う自由意志の境地なのです。

私がかつて占星術に感じていた違和感の正体は何だったのか。
それは、古典的占星術が持つ「因果律」への抵抗でした。
因果律とは、「土星が来たから(原因)、試練が訪れる(結果)」というような、物理的な強制力としての星の解釈のことです。
しかし、ユングの研究はまったく異なる視点を提示しています。
彼は、星が人間を操っているとは考えませんでした。
彼が提唱したのは、「時間には『質(クオリティ)』がある」という概念です。
これを理解するには、スーパーで売られている「ジュース」と、ヴィンテージの「ワイン」を比べてみると分かりやすいかもしれません。
大手メーカーのジュースは、いつ飲んでも味が同じです。
それは、いつでも同じ品質になるように、人間が人工的に調整し、コントロールしているからです。
そこには「いつ作られたか」という時間の個性は入り込みません。
しかし、「ワイン」は違います。
「2020年のボルドー」と「1995年のボルドー」では、味が異なります。
その年の日照時間、雨の量、風の匂い・・・
そうした「その瞬間の時間の質」が、ブドウという果実にそのまま封じ込められているからです。
夫の実家が農家なので、これは私も納得です。
同じ畑で、同じ人が、同じように育てている果物が、毎年味が微妙に違うからです。
ユングは考えました。
自然の一部である私たち人間もまた、このワインや果物と同じなのではないか、と。
「この世に生まれたものはすべて、その瞬間(時間)が持っている『質』を帯びている」
私たちは工場で作られたジュースではありません。
「オギャー」と生まれたその瞬間の、二度と繰り返されない宇宙の配置。
その独特な「時の質」を全身に浴びて、魂に刻印されてこの世に存在し始めるのです。
ホロスコープとは、
「あなたは、こういう質の時間に生まれた、こういうヴィンテージ(特性)の魂ですよ」
ということを示した、魂の設計図のようなものなのです。

ここで、ユング派の心理学者ジェームズ・ヒルマンが唱えた「どんぐりの説(The Acorn Theory)」という考え方をご紹介します。

ジェイムズ・ヒルマン / 著 鏡リュウジ / 訳
巨大な樫(オーク)の木を想像してみてください。
あの立派な樹木になるための全ての情報、設計図は、たった一粒の小さな「どんぐり」の中に、最初から完全に含まれています。
どんぐりは、決して松の木にはなりませんし、どれだけ栄養を与えても、桜の花を咲かせることはありません。
「私は、樫の木になる」という宿命的なイメージを抱いて、地面に落ちるのです。
私たちも同じです。
子供たちのホロスコープを見たときに、まさに思いました。
子供たちがのびのびと個性を活かし、他者の目を気にすることなく、その子らしく振る舞っている時の姿、
また時に見せる知性的な姿、甘えん坊な姿、好きなこと、苦手なこと、すべてがどんぐり(魂の設計図)として内包されている、と。
同じ人間から生まれ、同じ親が育てていても、同じ性格にはなりません。好きなものも、それぞれです。
「ああ、この子は社会の型にはまらない『とても情熱的で、好きなことに対しての集中力が一点突破などんぐり』を持って生まれてきたんだな」
「ああ、この子は知性が高く、おしゃべりが大好き。自分独自の芸術性という、どんぐりを持って生まれてきたんだな」
それなのに、社会の基準や常識に合わせて「こういう人間になりなさい」と矯正しようとすることは、その子の魂に対する暴力ではないでしょうか。

現代社会を見渡してみると、私たち人間もまた、「工場で均一化されたジュース」のようになろうとしているのではないか、と感じる瞬間があります。
「誰もが憧れる顔」というたった一つの正解を追い求め、SNSの加工アプリや過度な整形で個性を「ノイズ」として消し去ろうとする、行き過ぎたルッキズムの風潮。
あるいは、「学歴こそがすべて」という唯一の答えを信じ込み、その子の生まれ持った凸凹を無視して、幼少期から詰め込み教育で均質化しようとするシステム。
それはまるで、自然界が与えた「ヴィンテージ(個性)」をノイズだと見なし、添加物を加えて味を均一化し、飲みやすいジュースとして出荷しようとする工場のラインのようです。
凸凹を認めようとしない社会。
「苦味」も「酸味」も、その人ならではの「どんぐり」だとは受け入れず、
「欠点」と呼び、矯正し、消し去ろうとする。
それが行き過ぎると、魂は光を失ってしまうかもしれません。

では、どうすれば自分のどんぐりを守れるのでしょうか。
ユングが亡くなる2年前のこと。
BBCのインタビューで、彼はこう問われました。
「あなたは今も、神を信じていますか?」
ユングは少し間を置いて、こう答えました。
「答えるのは難しいですね。
私に分かるのは、信じる必要がないということです。
私は、知っているのです。」
“I don’t need to believe. I know.”
「信じる」と「知る」は、似ているようで、まったく違います。
「信じる」には、まだ疑いが残っています。
「本当にそうだろうか」「でも、証拠がない」「騙されているのかもしれない」
その揺らぎの中で、それでも信じようとする行為が「信じる」です。
でも、「知る」は違います。
体験を通じて、自分の細胞に刻み込まれたもの。
説明はできないけれど、確かにそこに在ると分かっている。
それが「知る」ということ。
ユングは、占星術についても同じように「知っていた」のだと思います。
そして、私たちは、自分を「信じる」必要などないのかもしれません。
私は、私。
それ以外はありえない。
そう言えるくらい、
さまざまな経験を通じて、
さまざまな自分を受け入れ、
心の底から自分を「知っている」状態になることが、
自分を愛するということであり、どんぐりを守ることなのではないか
そんなことを思いました。

ホロスコープを読むこと。
それは、社会によって上書きされ、修正されてしまった
「私」の下に眠る、「生まれたままの魂のブループリント」を掘り起こす作業です。
もし今、あなたが生きづらさを感じているのなら。
それはあなたが「ダメな人間」だからではなく、
あなただけの「ヴィンテージ」を、
無理やり均一化された大量生産の「ジュース」に変えようとしているからなのかもしれません。
私がタロットを引く時、いつも心がけていることがあります。
それは、カードに「答え」を求めないこと。
カードは、あなたに答えを与えてはくれません。
でも、あなたの中にある答えを引き出してはくれます。
「ああ、そうだった」
「本当は、こう感じていたんだ」
「私は、これを恐れていたんだ」
その気づきは、外から与えられたものではありません。
あなたの中に、あなたの無意識領域に、最初からあったものです。
カードはそれを映し出しただけ。
ユングはこう言いました。
「無意識を意識化しない限り、無意識があなたの人生を支配し、あなたはそれを運命と呼ぶだろう」
占いに答えをもらおうとすると「依存」を生みます。
占いに依存し、占いの結果を信じることで、社会学者ロバート・K・マートンが提唱した「自己成就的予言(self-fulfilling prophecy)」を生み、占いに運命を動かされてしまいます。
しかし、占いを「通過」して、本当の自分を「知る」ことは、あなたがあなたの運命を動かすことに繋がります。
星は、あなたの運命を決めません。
カードは、あなたの未来を予言しません。
ただ、問いかけているのです。
「あなたは、何を知っていますか?」と。
その問いに、あなた自身の言葉で答えてください。
その答えこそが、あなたの人生であり、どんぐりなのです。

ユングが晩年に貫いたこの言葉。
“I don’t need to believe. I know.”
「私は信じる必要がない。私は知っているのだ。」
あなたも、きっと「知っている」はずです。
自分が何者であるか。
何を求めているのか。
どこに還りたいのか。
それは、誰かに教えてもらうものではありません。
静かに目を閉じた時、
疑いようもなくそこに在るもの。
それが、あなたの真実です。

あとがき
このブログを書き終えて、ふと気づいたことがあります。
振り返ってみれば、目に見える数字や成果、わかりやすい「正解」だけを追い求めて努力していた頃の私は、本当に苦しかった。
それはまるで、魚が陸の上で必死に呼吸しようともがいているような、そんな息苦しさでした。
でも、生命の木やタロット、コーチングやタッチングといった、目に見えない力や愛を汲み取る世界に出会った時、私の人生は一変しました。
他の星座の人にとっては、難解で意味を感じにくいものかもしれません。
けれど、この目に見えない本質を探究する「形而上学」の世界は、
魚座の私にとっては、まるで「実家」に帰ってきたかのような安堵があり、魚にとっての水のように、なくてはならないものでした。
魚座は、占星術では「12ハウス」という、隠されたものや精神世界、無意識の領域と深く関わりがあり、
支配星である海王星は「あらゆる境界を溶かす星」です。
だからなのかもしれません。
私は昔から、目の前の人の言動の奥にある本当の想いが直感的にわかったり、
物や場所に宿る「悲しみ」や「祈り」、「つながり」や「空気」といった目には見えない情報を、理屈抜きで、常に感じ取っていました。
なぜかはわからないけれど、「知っている(I know)」
このユングの言葉こそ、まさに形而上学的な世界を生きる魚座の感覚そのものです。

ジョン・マイケル・グリア / 著 伊泉龍一 / 訳
なぜ私は、誰に頼まれたわけでもないのに、生命の木やタロットのことを熱心に調べたり、ブログを書いているのだろう? と不思議に思っていました。
でも、今なら分かります。
水星に魚座を持つ私は、形而上学的な世界(目に見えない魂の領域)にある情報を汲み取り、
それを物理的な世界(言葉という形)に降ろしてくること。
これこそが、ユングの言う「自分がしなければならないことを、喜んで自由に行う」ことであり、
私のどんぐりに刻まれた「宿命」だったのです。
だからこそ、その過程の瞬間瞬間が、私にとっての喜びであり、自由意志そのものです。
このブログを書くことで、私は改めてその事実に気づくことができました。
こうやって、自分をひとつひとつ知り、理解し、受け入れ、
そして、自分に正直になることで、
私は自分を愛してきたのだと思います。
20年前の私が、自分のホロスコープを見ても、きっと「当たっていない」と感じたでしょう。
周りの期待や「こう見られたい」というエゴに縛られて、本当の自分を押し殺し、歯を食いしばって生きていたからです。
ホロスコープが当たるようになったのではなく、やっと、私がホロスコープに追いついた。
だから、もし今「ホロスコープなんて当たらない」と感じている方がいたら、
それは、まだ本当の自分に出会えていないだけなのかもしれません。
あなたのどんぐりに刻まれた
「宿命」はどんなものでしょう?
是非、いつか教えてください。
長くなりましたが、饒舌はここまでに。
最後までお読みいただき ありがとうございます♡
The Essence of I Am.

ケヴィン・バーグ / 著 伊泉龍一 / 訳
このブログは、心理占星術を学び始めたばかりの、私のかなり限られた視野と知識によって、深淵なる占星術のわずかな一部分を切り取り、私なりの考えを文章にしたものであり、これからさらに学びを深めていく自分への宣誓のような気持ちで書いています。そのため、占星術に明るい方から見たら、稚拙で未熟な文章であることをお許しいただきたく思います。
私は、伊泉龍一先生の著書や講座が大好きで、本当にたくさんの学びをいただいております。また、鏡リュウジ先生の著書も大好きで、多くを読ませていただいております。素晴らしい知見を惜しみなく与え続けてくださるお二人に心から感謝しております。

Photography & Words by Saori











