
あけましておめでとうございます。
本年も、どうぞよろしくお願いいたします。
年末年始は、親戚の家で
家族と賑やかに過ごしました。
94歳になる祖母に会い、
子供たちの成長を感じ、
甥や姪の無邪気な笑顔を見つめながら、
ふと思いました。
この瞬間は、「今」しかないのだ、と。
祖母に昔話を聴かせてもらえる、この瞬間。
幼い甥や姪と笑い合える、この瞬間。
両親と食事できる、この瞬間。
どんなに大切な時間も
すべてはやがて形を変え
過ぎ去っていきます。
忙しい日々の中で埋もれてしまいがちな
当たり前の尊さに気づき
目の前の「今」を丁寧に味わいたい。
そう深く感じた、年末年始でした。
さて、新年といえば「目標設定」です。
みなさんは、もう目標を立てましたか?
私は、「目標」との付き合い方が
この数年で、大きく変わってきました。
今日は、そんなお話をさせてください。

芋虫
蝶は、努力して羽を生やすのでしょうか。
そうではないと思います。
芋虫という古い姿を
サナギの中で一度溶かすことで、
もともと持っていた羽が現れてくるのです。
でも、私たちの社会は
芋虫のまま、無理やり背中に
羽をつけようとしているように見えます。
学歴、収入、フォロワー、外見。
もっと痩せなさい
もっと美しくなりなさい
もっとお金を稼いで
もっと偏差値を上げて
もっといい仕事に
もっといいパートナーを
もっと、もっと、もっと、もっと
かすみ草も、チューリップも、パンジーも、
みんな「バラか百合になれ」と
急かされているような世界。
もっと香り高く、もっと美しくと、
終わりのない比較に怯えながら
今この瞬間を犠牲にして、努力を強いられ
まるで整形手術をするかのように、
無理やり形を変えようとする。
何者かにならなければ、
自分には価値がないとでも言うかのように。

鎧
努力して、なりたい自分になる。
それは素晴らしいことです。
でも、もしその過程がとても苦しいのなら、
一度立ち止まって、
自分に問うてみる必要があります。
「私は本当に、
足りない存在なのだろうか?」
かすみ草が
「かすみ草では足りない」と決めつけて、
バラを目指すでしょうか。
いいえ。
蝶が、もともと蝶であるように
私は、もともと私です。
何者かになるのではなく
ただ、「私」になればいいのです。
これは決して
「楽をする」ということではありません。
むしろ、最も怖いことです。
なぜなら、
「何者かにならなければ価値がない」
という鎧(エゴ)を脱ぐとき
私たちは丸裸になってしまうから。
「これを手放したら、
何も残らないのではないか」
「やっぱり自分には価値がないと、
証明されてしまうのではないか」
「皆んな離れていってしまうのではないか」
ずっと目を逸らし続けてきた根源的な恐怖と
向き合わなければならないからです。

旅
子供の頃、
『天は赤い河のほとり』
という漫画が大好きでした。
主人公ユーリは、作中で、勝利の女神
「イシュタル」と呼ばれていました。
そのイシュタルの原型になったのが
古代シュメールの女神、イナンナです。
シュメール神話には、
「イナンナの冥界下り」
という物語があります。
女神イナンナは、
冥界へ降りていくために
7つの門を通るたび
身につけていた装飾品を
次々と剥がされていきます。
王冠、首飾り、胸飾り、腰帯・・・
最後は、一糸まとわぬ姿で
冥界の女王の前に立つことに。
王冠は「地位」
首飾りは「富」
胸飾りは「美しさ」
「これがあるから私は価値がある」と、
私たちが現世で
必死に握りしめている権威やエゴたちです。

イナンナが、社会的に被る仮面
「ペルソナ」であるのなら
冥界の女王は、仮面の裏側
内なる「シャドウ」です。
実は、人が最も恐れているのは、
他人の前に、
何も持たない自分として立つことではなく
エゴを全て脱いで、
何も持たない「ただの自分」として
自分の前に立つこと。
自分で自分を見つめること
・・・なのかもしれません。
この神話は、人間にとって最も勇気がいる
「内なる旅」の元型(アーキタイプ)として
語り継がれています。
「ただの私」になるということは、
甘えでも逃げでもなく
勇気がいる旅であることが
数千年も前から伝えられているのです。

羽
子供を見ていると、ハッとします。
今はまだ生えていなくても
子供たちの中に、
ちゃんと羽があるからです。
親が望む形の羽を
無理やりつけようとしなくても
時がくれば、
その子だけの美しい羽が現れるでしょう。
親は、その子が持つ羽が現れるのを
邪魔することなく
信じて見守ることが大切だと思います。
そして、私たちもかつては子供でした。
私たちにも、もともと羽があるのです。
イナンナがつけていた
王冠や首飾りや胸飾りの、その奥に。

還
だとしたら、
本当の「目標」とは何でしょうか。
それは、何かを足すことではなく
本来の自分を
覆っているものを取り除くこと
ではないでしょうか。
「何者かになる」のではなく
「何者かにならなければ」
という思い込みを手放すこと。
足す目標ではなく、引く目標。
「なる」ではなく、「還る」。

蛹
この数年、
私もサナギの中にいたのだと思います。
意識して手放そうとしたのではなく
ただ、握りしめていた手が
少しずつ、弱くなっていっただけ。
「価値がなければ」という焦り。
「認められなければ」という恐れ。
それらは私を守る鎧ではなく
私を縛る鎖になっていたのかもしれません。
その鎖を外したら
自分はどうなってしまうんだろう・・・
最初は怖かったです。
でも、鎖を外したその先にあったのは
ただ、静かな空間でした。
誰の役にも立てなくていい。
誰の期待にも応えられなくていい。
どんな自分も愛すると決めてから
気づけば、「ただの私」でいる
静かな時間が増えていました。
頭の中が静まって、
比較も競争も、急かされることもなく
今この瞬間だけを味わっている感覚。
そうなって初めて、
本当にやりたかったことが見えてきました。
麻痺していた感覚が研ぎ澄まされ
自分への信頼を取り戻し
深くくつろげるようになりました。

「やりたいことがわからない」
そんな相談をされることがよくあります。
きっとそんな時は、
自分への信頼を見失っている時です。
誰かの役に立たなければならない。
誰かの期待に応えなければならない。
「ただの私」ではいけないと、
焦って足すものを探している時です。
だから、そんな時こそ
足すのではなく、引くことが大切です。
羽化
私の2026年のテーマは、
「”ただの私”に還る場所をつくる」 です。
もっともっとくつろいで
子どものように無邪気に
大好きなカードや星、
神話の世界で遊ぼうと思っています。
「ただの私」であることを大切にし
過程を楽しむつもりです。
外側の世界に引っ張られ
焦ったり、恐れたりするのではなく
私は私の世界の創造主であることを
忘れずに過ごします。

それを実現するためにも
「引く」ことが欠かせません。
必要のないエゴは手放して
本当に大切なものを大切にする。
すると、こんなことに気づきます。
94歳の祖母と過ごす時間。
触れた手の温もり。
子供たちの成長を見守る日々。
二度と戻らない、その一瞬一瞬。
ブログを書いている、今この瞬間。
何かを達成しなくても
何者にもならなくても
あるがままの私として過ごせる一瞬一瞬が
奇跡であり
ただ愛おしくて
幸せに満たされているということに。

未来は、今の積み重ねです。
奇跡に満ちた「今」をどれだけ増やすか。
これは、実は、意識ひとつでできること。
今年もそんな日々を守っていきます。
蝶は努力して羽を生やすのではなく
芋虫という
古いアイデンティティを溶かすことで
もともと持っていた羽を現します。
あなたが2026年にすべきことは、
「素晴らしい自分になること」ではなく
「素晴らしくなければならない」
という思い込みを
溶かすことなのかもしれません。
かすみ草は、かすみ草のままで美しい。
2026年が、あなたにとっても
奇跡に満ちた日々になりますように。

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