
メリークリスマス🎄
今日は、朝から子供たちの喜ぶ顔が見られ、実家でクリスマスパーティーをして、賑やかでとても幸せな一日を過ごしました。
みなさんは、どんなクリスマスを過ごされましたか?
今日はクリスマスですので、愛のカード、「恋人(The Lovers)」についてお話ししたいと思います。
私は若い頃、「クリスマスまでに彼氏を作る!」と毎年宣言しては、空振りしていたような気がします。
かつての私のように、恋愛で悩み、人間関係につまずいている人は
この「恋人」のカードが示す試練としっかり向き合うことで、突破口が見えてくるかもしれません。

恋人
The Lovers
多くの人は、このカードを見ると、「恋愛成就」や「運命の出会い」を思い浮かべます。
しかし、このカードを作ったアーサー・E・ウエイトは、少し違った意図も含ませました。
様々な解釈がありますが、今日は私が好きな解釈をお伝えします。
裸の男女。その背後には、生命の樹と知恵の樹。そして、蛇。
これは、楽園を追われる瞬間の、アダムとイブです。
追放
エデンの園で、アダムとイブはまだ「分離」を知りませんでした。
カードに描かれた二人は、自分たちの裸体を隠していません。自分たちが裸であることに、気づいていないからです。
それどころか、自分と相手が「違う存在」であることにも気づいていません。
すべてが溶け合った、無意識の一体感(ワンネス)の中にいるのです。
けれど、知恵の実を食べた瞬間に、二人は気づいてしまいます。
「私」と「あなた」は、違う存在だと。
それが、楽園からの追放です。
生まれたばかりの赤ちゃんが、まだ他者との分離を認識できていないように、
アダムとイブもまた、分離を知りませんでした。
しかし、人は成長と共にそれを学びます。
思春期になれば異性の違いに気づき、
さらに「個」としての分離を意識するように。
それこそが、三次元で肉体を持って生まれた私たちの宿命であり、制限でもあるのです。

分離
世界で最も有名な「ウエイト・スミス・タロット」は、ユダヤ教の神秘思想である、カバラ「生命の樹」と連動しています。
生命の樹において、恋人のカードは17番目のパスに対応し、そこに割り当てられたヘブライ文字は「ザイン」。
意味は「剣」です。
剣は、切り分けるもの。
すなわち、分離させるもの。
つまり、このカードの真のテーマは、甘い恋愛の「一体化」ではなく、その逆の、厳しい現実である「分離」です。
私たちは、三次元に肉体を持って生まれた瞬間に、母と子を繋ぐへその緒が切られ、分離した存在になります。
どんなに愛し合っていても、相手の痛みを代わってあげることはできません。
どんなに寄り添っていても、相手のすべての感情を感じ取ることはできないのです。
長年連れ添った伴侶であっても、いつかは死によって別れ別れになる。
肉体があるからこそ、分離しているからこそ、強い「孤独への恐怖」が根付いている。
それが、このカードの主題です。

沼
でも私たちは、この「分離」という現実をなかなか受け入れることができません。
だから、苦しむのです。
「彼は私のことをどう思っている?」
「なぜ連絡をくれないの?」
「私のこと、本当に好きなの?」
恋愛相談でよく聞くこれらの言葉の奥には、こんな本音が隠れています。
「私は、愛される価値がある存在?」
「彼がいなければ私は孤独だ」
自分に何かを付け足さなければ、私は完全な存在になれないという根深い欠乏感を持っている人は、
分離を受け入れられていません。
だから、恋人や、肩書きや資格、ブランド品、外側の価値あるものと自分を同一化することで
「自分を完全な存在にしよう」とします。
自分の足りない部分を、外側の何かによって埋めようとするのです。
だからこそ、恋人がいなくなれば、「自分は不完全な存在」だと嘆き
誰かに愛されていないと、「自分には価値がない」と思い込んでしまいます。
そこはまるで、底なしの沼。
しかし、人間関係は、すべて鏡です。
自分が欠乏感や孤独感を埋めることに必死ならば
相手も同様に、自分の欠乏感や孤独感を埋めることに必死な人が現れます。
お互いが愛を求め(奪い)合い、
相手に尽くすこと、尽くされることで、自分の価値を証明しようとする。
それは、愛ではなく「共依存」であり、「利用」です。
どんなに相手を利用しても、愛がなければ、心の穴は埋まりません。
なぜならその穴は、「自分で自分を愛していない」ことから生まれているからです。

母子
これは、恋愛だけの話ではありません。子育てにおいても、同じことが起こります。
かつてはへその緒で繋がっていた、自分の一部のような我が子。
「この子のことは私が一番分かっている」
「この子のためを思って言っている」
その言葉の裏には、子供との分離を認められない心理が潜んでいます。
でも子供は、母親と完全に分離した存在です。
違う考えを持ち、違う人生を歩む、独立した一人の人間です。
分離を認められない愛は、やがて支配に変わります。
「親としての役割に自分を同一化している母親や父親は、子どもを通じて自分がもっと完璧になろうとする。他者を操ることを通じて自分が感じ続けている欠落を埋めたいというエゴの欲求が子どもに向かう。」(『ニュー・アース』第四章より一部抜粋)
『ニュー・アース』の著者 エックハルト・トールが指摘するように、子供の心理的安全性を守るためにも、
私自身、分離を理解し、自分の中の完全性を認めるための「己育て」をさせてもらっているのだと、子供への感謝を忘れないようにしています。

技術
ドイツの社会心理学者エーリッヒ・フロムは、著書『愛するということ』の中で、こう言いました。
“たいていの人は、愛の問題を、愛する能力の問題ではなく、愛される問題として捉えている。”
私たちは、自分の欠乏を補うために恋愛をし、「どうすれば愛されるか」ばかりを考え、
「どう愛するか」には考えが及びません。
愛されること、自分の不足を補ってもらうことばかりを求めていれば、当然、関係は破綻します。
その無意識の要求、執着は、相手の心を疲弊させるからです。
そして、一つの恋愛が終わった時、「相手が悪かった」「相性が悪かった」と
相手のせいにして、今度こそはと違う人を探し求め、永遠に同じことを繰り返す。
若い頃の恋愛は、これを学ぶためのレッスンだと思えば、たくさん失敗してもいいと思いますが、
年齢を重ねても同じパターンを繰り返す人は、何度も別れを経験し、その度に大きな代償を払うことになります。
フロムは言います。
恋愛がうまくいかないのは、「対象」の問題ではなく、「能力」の問題なのだと。
愛することは技術であり、学び、習練することで身につけていかなければならないスキルなのだと。
成熟
フロムはまた、こんな言葉も残しています。
“未熟な愛は 「あなたが必要だから、あなたを愛する」と言い、
成熟した愛は 「あなたを愛しているから、あなたが必要だ」と言う。”
自分の寂しさや欠乏を埋めるために、あなたが必要だから、愛するのではなく
私は一人でも完全だけれど、あなたを愛しているから、あなたを愛することを選択する。
未熟な愛は「依存」であり、成熟した愛は「選択」です。
ちなみに、15世紀〜18世紀頃のタロットにおける「恋人」のカードは、「選択」という意味が色濃くありました。

当時は結婚相手を親が決める文化だったため、親から自立し、自分が心から愛せる人を「選択」するという意味が強かったのです。
(私の大好きなジェーン・オースティンの『高慢と偏見』でも、身分の違いを乗り越え、自分で結婚相手を選択する恋愛物語が描かれています。)
しかし、現代の「恋人」のカードは、「選択」というよりも、自己との「統合」が強く描かれています。
統合
なぜ統合なのか。フロムの言葉を借りるなら、
“一人でいられる能力こそ、愛する能力の前提条件である。”
“誰かを愛するということは、単なる激しい感情ではない。それは決意であり、決断であり、約束である。“
自分の中に必要なものはすべて備わっており、外側の何かで補わなくても、私は「完全な存在である」と信じることができる。
自分の愛で、自分の孤独感や欠乏感を満たすことができる。
自分を信じているからこそ、自分の「選択」に責任を持つことができます。
自分で「決意」をすることができます。
自分との「約束」を守ることができます。
だから、自分を愛し、信頼することは、人を愛する前提条件なのです。
自分で自分を愛せないから、誰かに愛してもらうのではないということ。
ユング心理学では、私たちの中には男性性も女性性も、光も影も、すべてが備わっていると言われます。
それらを統合することで自分への愛と信頼を高めていくことができるのです。
しかし、自分を信じられない人にとっては、自分の中にすべてがあるなんて、信じることができません。
だからこそ、
「私は行動力がない」と思う人は、行動力がある相手に惹かれ
「私には決断力がない」と思う人は、決断力のある強い誰かに委ねようとする。
「私には価値がない」と思う人は、自分以外の誰かや何かの承認を得ることに、人生の多くの時間を費やしてしまう。
ですから、そうならないために、自分の中にすべてがあると認め、統合していくこと。
ユングのいう『個性化』のプロセスの入り口を、恋人のカードは示しています。

〈「影(ゴールデン・シャドウ)の投影」や個性化についてはこちらでご紹介しています。〉
強い感情が動く恋愛では、特に影が相手に投影されやすく、
影が濃ければ濃いほどに、感情のコントロールが難しくなります。
いわゆる「めんどくさい系」ですね。(私もかつてはそうだったので、痛いほどよくわかります…)
条件
フロムは、愛には4つの要素があると言いました。
配慮
相手の生命と成長を気にかけること。
責任
相手のニーズに応える用意があること。
尊重
相手をありのままに見ること。
知
相手を深く理解しようとすること。
これらはすべて、『分離』を受け入れていることが前提です。相手は自分の一部ではない。自分とは違う、独立した存在である。
その認識があって初めて、配慮も、責任も、尊重も、知も生まれるのです。
私はブライダルの仕事を通じて多くのカップルを見てきましたが、この状態でご成婚に至られたお二人の間には、穏やかさの中にも力強い、特別な絆を感じることができました。

真意
私たちは、自分が「分離」していることを受け入れた先に、初めて、相手を「ちゃんと見る」ことができます。
「この人には、この人の考え、感情、人生がある」
「私の期待は関係ない。私は、この人がこの人だから愛する。」
そう思えた時に、本当の意味での「尊重」が生まれ、
「対話」が始まり
「愛する」土台に立つことができるのです。
求めるのではなく、与え合うこと
依存ではなく、分かち合うこと
それが、恋人の真意なのではないかと私は思います。
ですから、恋人のカードは、
あなたが何もしなくても、両思いになれるカードではありません。
分離を受け入れ、その上で、あなたが「愛する」ことを主体的に選択するカードです。
その覚悟を持った時、あなたの恋愛は、依存や、エゴイスティックな欲から解放され
「愛されたい」という渇望から、「愛する喜び」へと昇華するでしょう。
もし、今あなたが、誰かに自分を満たしてもらわなければ、自分は孤独であると感じているのであれば
少しだけ立ち止まって、「私は、私を愛しているだろうか」と、自分の心に問いかけてみてください。

「私はあなたが望む私を演じるから、あなたも私が望むあなたを演じてちょうだい」
「恋に落ちる」というのは、実はエゴイスティックな欲求と必要性の強化である場合が多い。
従来の愛に関していちばん正直なのはスペイン語だろう。「テ・キエロ」には「あなたを愛しています」という意味と「あなたが欲しい」という意味がある。
もう一つの愛の表現である「テ・アモ」にはこういう二面性はないが、こちらはあまり使われない。たぶん真の愛はめったに存在しないからだろう。
(『ニュー・アース』第四章より一部抜粋)
ひとつになれない
ゆえに、愛する
それが、人間

タイトルは「楽園追放」
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