【現世(うつしよ)の檻】集団催眠の恐怖[1]

 

 

 

現世=「映し世(うつしよ)」

 

水面に映る景色は、実際の景色とそっくりに見えます。でも、それは本物ではなく、ただの反射像です。

 

私たちが「現実」だと思っている世界も、もしかしたら、それはただの「幻」なのかもしれません。

 

仏教では「色即是空」として、物事には固定的な実体がないと説き、プラトンもまた、私たちが見ている世界は真実の影に過ぎないと語りました。

 

そして今、その水面に映る世界の中で、私たちは「機械人間」として生きているのではないでしょうか。

 

 

初めてグルジェフの本『奇蹟を求めて』(グルジェフの弟子P.D.ウスペンスキー著)を読んだとき、「人間は機械だ」という言葉に目が止まりました。

 

それは、かつて私が「架空の私」と呼んでいた状態との既視感があったからです。

 

以前、このブログで「架空の私」について書いたことがあります。

鏡の前に立つあなたは、「本当のあなた」ですか?それとも・・・

 

SNSで自分の意見を投稿しようとして躊躇したり、会議で自分の本当の考えを押し殺したり。そんな日々を送る中で作り上げてきた「仮面をつけた私」のことを。

 

その「架空の私」は、まさにグルジェフの言う「機械人間」そのものでした。

 

私もかつて、確かに機械人間として現世(うつしよ)の幻影を生きていました。

 

そして正直に告白すれば、今もときどき…いえ、かなりの頻度で、機械のように反応している自分に気づかされます。

 

この気づきこそが、今回のブログを書こうと思ったきっかけです。

 

 

私たちは、ほとんどの時間を「機械」として生きているのかもしれません。

 

朝、目覚ましの音で起き、習慣的な行動を繰り返し、誰かの言葉に反射的に反応する。

 

そんな日常の中で、いつの間にか本当の自分を見失ってしまうのです。

 

グルジェフは、私たちのこのような状態を「集団催眠」と呼びました。

 

そして、その最も究極な例が「戦争」です。

 

人々は「正義」や「愛国心」という観念に支配され、まるで催眠状態のように集団で行動してしまう。

 

メディアや政治家、インフルエンサーの言葉を鵜呑みにし、見知らぬ誰かを敵視する。気づけば心も思考も、「差別や対立、破壊を正当化する価値観」に染められてしまうのです。

 

この「集団催眠」は、実は私たちの日常のいたるところに存在しています。

 

 

たとえば、ある女性の一日を見てみましょう。

 

会社に行きたくないなと思いながら、満員電車に乗って会社に行く。

 

上司の前で従順な部下を演じ、同期との会話では、その上司や会社の悪口を言う。

 

家に帰れば母親の顔になり、子供に「友達の悪口を言ってはいけません」と諭す。

 

夫の前では良き妻として振る舞い、仕事の愚痴を聞きながら内心うんざりとしている。

 

夜、布団の中でスマホを開けば、見知らぬ誰かの誹謗中傷の投稿に「いいね」を押す。

 

一見、これは現代社会を生きる多くの人の「普通」の日常かもしれません。

 

しかし、この女性の一日をよく見てみると、そこには「本当の私」が存在していないことに気づきます。

 

場面場面で、社会的に求められる「仮面」を被り、プログラムされたように反応しているだけなのです。

 

「これが普通」「これが正しい」という思い込みのままに。

 

それは、グルジェフの言う『眠り』の状態そのもので、実は「普通」であるということが、最も『眠り』の深い状態なのかもしれません。

 

自分で意識的に選択し、行動しているのではなく、外からの刺激に対して、無意識にただ反応しているだけなのです。

 

会社では「上司に従順」というプログラム、

子育ては「いい母親」というプログラム、

夫婦関係は「いい妻」というプログラム。

 

匿名のSNSの中では、相手が「悪」なら誹謗中傷も致し方ないというプログラム。

 

プログラム通りに動く機械。それが私たち「機械人間」の姿なのかもしれません。

 

 

戦争という極端な形だけではありません。日々、SNSで繰り広げられる壮絶な誰かや何かへの罵詈雑言、いじめも、

 

普段は「普通」の人、すなわち機械人間が、反射的に反応して書き込んでいるのだと思えば、納得がいくのです。

 

だからこそ、グルジェフは「目覚めなさい」と私たちに語りかけます。

 

自分はどんな場面で、どんな仮面を被っているのか

 

なぜ、そう振る舞うのか

 

それは本当の私が選んだものなのか

 

それとも安全や世間体、慣習のために、無意識に動いているだけなのか

 

こうした問いを自分自身に投げかけるとき、私たちは「眠り」から一歩抜け出す可能性を得られるのです。

 

意識的であるということは、状況や相手に合わせて態度を変えることを否定するのではありません。

 

それを知った上で、自分がどう選ぶかを主体的に決めること。ここに「自由」があるのだと、グルジェフは説いています。

 

それは、決して簡単な道のりではありません。私自身、日々の中で、何度も機械的な自分に気づかされます。

 

しかし、その気づきこそが、目覚めへの契機となる。

 

自動的に反応しがちな瞬間に「今の私は機械のようだった」と気づく。

 

その一瞬の「間」が、私たちの意識を、魂を、育んでいくのです。

 

 

では、この機械人間という状態から、どのように抜け出せばよいのでしょうか。

 

次回は、その道筋を「生命の木」や「タロット」という古代の叡智を通して探っていきたいと思います。

 

Part.2へ続く