【現世(うつしよ)の檻】架空の私からの解放[2]

 

 

前回のブログでは、「機械人間」について説明しましたが、

 

その「機械人間」という状態は、カバラの生命の木でいうところの「マルクト」の世界に深く根差しています。

 

生命の木、マルクトについてはこちらのブログでも書いております。こちらも一緒にお読みいただけますと、「生命の木」をより深く理解していただけると思います。

 

物質世界を象徴する最下層のセフィラ、「マルクト」。

 

神秘思想・カバラ研究家 Maya Arika著『聖なる秘教カバラの生命の樹ワークブック』より

 

ここでは、多くの人が無意識に、「架空の私」という仮面をつけ、観念という鎖に繋がれて生きています。

 

「こうでなければならない」

「あの人はこう思うかもしれない」

「これが正しい生き方なはず」

 

そんな思いや考えが、まるで機械のプログラムのように、私たちの行動や感情を支配しているのです。

 

 

エックハルト・トールは、著書『ニュー・アース』の中で、この状態を「エゴによる支配」と呼びました。

 

確かにそれは、私たちの本質的な「存在」とは異なる、作られた自己「エゴ」なのかもしれません。

 

エックハルト・トール著『ニュー・アース 意識が変わる 世界が変わる』

 

しかし、このことに気づいただけでは、まだ解放には至りません。なぜなら、私たちの多くは、その「機械的な反応」に深く同一化してしまっているからです。

 

「これが本当の私」だと思い込んでしまっているのです。それこそが、最も深い眠りの状態です。

 

私自身、長い間この状態にいました。今から思えば、それは「マルクト」という物質世界の中で、完璧に眠り込んでいた時期だったのでしょう。

 

しかし、「カバラ生命の木」「タロット」は、私にこの状態から抜け出すための道筋を示してくれました。

 

それは「マルクト」の世界から上にある「イエソド」という月の世界への出会いから始まります。

(「イエソド」は占星術の月が対応しており、無意識の領域を表しています。)

 

神秘思想・カバラ研究家 Maya Arika著『聖なる秘教カバラの生命の樹ワークブック』より

 

「月」が象徴するように、この段階では、私たちの無意識が少しずつ目覚め始めます。

 

※占星術やタロットにおける「月」について、こちらのブログで詳しくご紹介していますので、よろしければご参照ください。

 

 

「これは本当に私なのだろうか?」

 

「なぜ、私はいつも同じパターンを繰り返してしまうのだろうか?」

 

そんな問いが、心の奥底から湧き上がってくるとき、それは時として不安を伴い、見たくないと思うような衝動に駆られるかもしれません。

 

でも、その不安や恐れとの対峙こそが、実は大きな収穫です。

 

機械的な反応が一瞬止まり、自己を観察する意識が生まれるのです。

 

そして、その先には「ホド」という思考の領域が待っています。

(「ホド」は占星術の水星、思考や分析を表します。)

 

 

「ホド」の領域では、長年の無意識の思い込みや価値観、自分の中にある二項対立の善悪、正誤、美醜、幸不幸などについて、じっくりと見直すことができます。

 

「本当にそうなのか?」

 

「これは誰かに教え込まれた考えではないのか?」

 

そんな問いかけが、機械的にプログラムされている無意識の思考パターンを解きほぐしていくのです。

(生命の木の「マルクト」から「ホド」へ向かうパスには、ヘブライ語の「歯」を意味する「シン」という文字が対応しており、噛み砕くこと。理解や分析、分けることを表しています。)

 

それは時として、お守りとなっている信念(観念)を焼き払うような、痛みを伴う作業になるかもしれません。

(実際に、ここには自分の中の「固定観念」を火によって焼き尽くすという意味で「火」の元素が対応しています。)

 

なぜなら、私たちの多くは、その思考パターンに強く執着しているから。それが「安全」だと信じ込んでいるからです。

 

でも、その執着を少しずつ手放していくとき、不思議な解放感が訪れます。まるで、長年つけてきた重い鎧を脱ぐ瞬間のように。

 

そして、「ネツァク」という感情の領域では、さらなる解放が待っています。ここでは、長い間抑圧してきた感情との再会が起こるのです。

(ネツァクは金星に対応し、喜びや幸福感、愛、感情の解放を象徴します

 

神秘思想・カバラ研究家 Maya Arika著『聖なる秘教カバラの生命の樹ワークブック』より

 

「こんな感情を持ってはいけない」

「怒ってはいけない」

「悲しんではいけない」

 

そんな無意識の検閲から解放され、あるがままの感情を認められるようになっていく。

 

それは、本当の意味での「自由」、エックハルト・トールのいう「プレゼンス(存在)」への第一歩なのかもしれません。

 

私たち日本人は、幼い頃から感情を抑え込むように教育されてきました。

 

「男の子が泣いてはいけない」

「怒るのは良くないこと」

「人を嫌ってはいけない」

 

こうした言葉は、私たちの心に深く刻み込まれています。それは一見、道徳的で正しいことのように思えます。

 

しかし、生命の木の観点から見ると、これは「ホド(思考)」が「ネツァク(感情)」を過度に抑圧している状態なのです。

 

思考で感情を否定し、抑え込もうとする。その結果、私たちは、感情という生命力から切り離されてしまうのです。

 

 

例えば、誰かに嫉妬を感じたとき。多くの人は「嫉妬なんてしてはいけない」「嫉妬するなんて恥ずかしい」と、すぐにその感情を二項対立図式で否定しようとします。

 

職場で、誰かの言動に違和感を覚えても、「和を乱すのは良くない」と、その感情を押し殺しすことが当たり前になっている人も多いでしょう。

 

でも、その瞬間、私たちはプログラム通りの反応をしているのです。「嫉妬はよくないこと」「和は乱してはいけない」というプログラムに従って、感情を抑圧する機械と化しているのです。

 

本当の成長は、その感情をまずは認めることから始まります。

 

「そう、今の私は嫉妬を感じている」

「この違和感は、私からのメッセージなのかもしれない」

 

この受容があって初めて、私たちは「ネツァク」の領域を真に通過し、より高次の意識へと向かうことができるのです。

 

神秘思想・カバラ研究家 Maya Arika著『聖なる秘教カバラの生命の樹ワークブック』より

 

そして、生命の木の中心に位置する「ティファレト」。ここは太陽の光が燦然と輝く場所です。

 

生命の木では、「ティファレト」へいくことを「ベールを超える」と表現します。

 

それは、私たちを縛る幻想(現世の檻)から解放され、思考や感情を一歩離れた場所からより明晰に眺めることができる自己と出会う瞬間を意味しているのです。

 

ここは、グルジェフが説く「目覚めた人間」の始まりなのかもしれません。

 

もはや機械的な反応に支配されることはなく、自分の在り方に意識を介在させることができる場所。

 

自分の意志により選択することができる「自由」の可能性を持った場所です。

 

でも、この旅は決して一方通行ではありません。一瞬、「ティファレト」の状態になったとしても、また時には「マルクト」に戻り、「ホド」や「ネツァク」を行き来しながら機械のように反応することもある。

 

それは自然なことであり、むしろこの行き来の状態に気づけることこそが大切なのです。

 

「あ、今の私は機械のように反応している」

 

その認識があるだけで、もう変容は始まっているのです。

 

Part.3に続く