
本当の豊かさを求めて、毎日を踊るように生きる
そんな言葉を聞いて、あなたはどう感じますか?
便利で快適な現代社会。私たちの暮らしは、確かに物質的には恵まれています。
でも、何か大切なものを置き忘れてきてしまったような、そんな感覚を抱くことはありませんか?
「このままでいいのかな」
「もっと自分らしく生きたい」
「心が求めている何かがあるはず」
そんな漠然とした思いを抱えているのなら、今日お話しする「カバラ 生命の木」と「タロット」の世界が、あなたの心に響くかもしれません。
これは決して特別な人だけのものではありません。むしろ、現代を生きる私たち一人一人に、新しい気づきをもたらしてくれる、古くて新しい知恵なのです。

数年前から、私自身、「カバラ」「生命の木」「タロット」という言葉を耳にしたり、YouTubeやリールの動画を目にする機会が増えてきました。
これらに対して、ある人は「怪しい」「時代遅れのオカルト」「宗教やスピリチュアル」だと思うかもしれません。
実際、長い間、西洋の秘教伝統は、科学やテクノロジーが優先される社会の陰に隠れ、一般の人々からはほとんど関心を持たれずにきたという歴史があります。
ところが時代は変わりました。合理性と効率ばかりが強調される現代社会で「本当にこれでいいのか?」と疑問を抱く人々が増えてきたからでしょう。
便利な世の中ではあるけれど、人間らしい豊かさが失われているのではないか。
そんな意識の高まりとともに、東洋の精神文化や先住民の智慧を探求する動きが出てきたり、または「実は西洋にも古くから叡智の伝統があるのでは?」と再評価する流れが出てきたのです。
今回取り上げる「カバラ」「生命の木」も、その一つです。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ユダヤ教の神秘主義にルーツを持ちながら、ルネサンス期以降はヘルメス哲学や錬金術、さまざまな西洋の秘教思想と融合し、近代に至るまで細々と受け継がれてきました。
ゴールデン・ドーン(黄金の夜明け団)と呼ばれる秘密結社を中心に体系化された「カバラ 生命の木」は、タロットや占星術、魔術的な技法などを総合的に取り入れ、個人の「内なる変容」や「深い世界への理解」を目指すための大きな枠組みとして発展してきたのです。
要は、これらは 「魂の成長地図」 とも言えます。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
一見すると、とても難解そうですよね。でも「伝統」という言葉が示すように、これは一人の天才が作り出したものではなく、長い年月のなかで、多くの知性や経験が積み重なってできた「生きた知恵」の集積です。
だからこそ、一時的な流行に左右されにくく、時代を経ても淘汰されることなく、多くの人に受け入れられる、バランスの取れた「成長地図」になりうるのです。
今の時代だからこそ、「物質的な豊かさだけでは満たされない」と感じる人たちにとって、カバラやタロットが改めて注目されているのかもしれません。
このブログでは、そうした「カバラって何?」「タロットはただの占いじゃないの?」といった疑問を解きほぐしながら、なるべくわかりやすい形で、この素晴らしい情報をお届けしたいと思います。
かつては、魔術ロッジの地下世界やごく一部の学者や霊性探求者たちだけが触れることができ、秘密裏に守られてきた西洋の秘教的伝統。
しかし、風の時代となった今では、その貴重な叡智を、私たちの日常をより豊かにしてくれるノウハウとして、誰もが手に入れられるようになりました。
その素晴らしさを、まずはこのブログから少しでも感じ取っていただければ幸いです。
カバラの起源と発展
ここまで「カバラ」という言葉を使ってきましたが、この言葉自体になじみのない方も多いかもしれません。少し歴史をさかのぼって、カバラの本質についてお話ししましょう。
▶︎カバラの原点
カバラ(Cabala / Kabbalah / Qabalah)という言葉は、ヘブライ語の「QBLH(口承の伝統)」に由来します。その始まりは、ユダヤ教の神秘主義にありました。
聖書の文字通りの解釈を超えて、その奥に秘められた霊的な意味を探求し、より深い神秘体験を目指す伝統として育まれてきたのです。
▶︎西洋思想との融合
ルネサンス期に入ると、カバラは大きな転換期を迎えます。西洋の伝統魔術や錬金術、新プラトン主義の哲学など、さまざまな思想と交わりながら、より普遍的な知恵の体系へと発展していきました。
▶︎近代カバラの確立

黄金の夜明け団 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
19世紀末、「ゴールデン・ドーン(黄金の夜明け団)」という秘密結社によって、カバラは新たな統合を果たします。「ヘルメティック・カバラ」と呼ばれるこの体系は、タロット、占星術、儀式魔術を有機的に結びつけ、人生の内なる成長と宇宙の深い理解を目指す実践的な枠組みとして確立されました。
現代で最も広く使われている「ウェイト=スミス・タロット」は、まさにこのカバラの叡智から生まれました。ゴールデン・ドーンの会員だったアーサー・E・ウェイトが、生命の木との対応関係を基礎に置いて制作したからです。

Arthur Edward Waite 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
つまり、タロットを深く理解するためには、「生命の木」の知恵を学ぶことが不可欠であり、それは単なるオカルトや占いの技法ではなく、自分自身と宇宙との関係を探求するための、深遠な学びの道なのです。

タロットと霊感
少し余談ですが、タロットやユダヤ教の神秘主義というと、「何か特別な力が必要」と思われるかもしれません。例えば、「霊感」とか、「サイキック能力」的なもの。
私も最初はそう感じていました。巷の占い師の自己紹介を見てみると、「幼少期から特別な力があった」とか「霊視」「霊感」などの文字が並んでいます。だから、そういう力がある人にしかタロットは使えないのだと思い込んでいたのです。
しかし、新宿の占い館で修行した経験や、超売れっ子占い師達との交流を通じて、あくまでもそれは、商売としてのブランディングであることを知りました。
特別感を出すために「霊感」という言葉を使ったり、言葉に説得力を持たせるために服装やメイクで神秘性を演出するのです。
実際に占いの現場では、メンタリストのようにコールドリーディングのスキルを巧みに使っている人がほとんどではないでしょうか。
ある程度、人間の思考・行動パターンは決まっていますから、多くの人を占ってくる中で、「この人はこんな思考・行動パターンを持っているな」というのを瞬時に分析する力が磨かれていくからです。
ですから、占い師を盲信し、依存したり、ネガティブな言葉を言われた時に、それを間に受けて自分の人生に制限をかけたり、可能性を狭めてしまうことがないようにしていただきたいと思います。
人生は、主体的に、自分の意思と行動によって、創っていくものです。
未来は「誰かに予言される」ものではなく「今この瞬間から、自分で紡いでいくもの」です。
まずは、この前提に立つことがとても重要です。この前提に立ち、私はタロットを深く学んでいく過程で、霊感とかそんなものは関係なく、むしろ、タロットや生命の木には、
「自分の人生をより主体的に、どう幸せに生きていくか」
「この限られた人生、時間や肉体という枠の中で、いかに自分の才能を最大限に発揮するか」
に直結する知恵が詰まっていて、誰もがこの知識を身につけることで、自分のいるこの世界を理解し、自己理解を深め、より進化・成長していくことができるということに気づきました。
だからこそ、タロットや生命の木は、オカルティストや占い師だけが扱う特別なツールではなく、もっと身近に応用できる「人生の羅針盤」といった方がしっくりきます。
今回はその一例として、生命の木の「マルクト(現実世界)」から「イエソド(内面のビジョン)」へと向かう過程について、ご紹介してみたいと思います。
なお、生命の木のマルクトとイエソドの間に対応するタロットカード「世界(The World)」には、本当に多彩で深い意味がありますが、今回はその象徴すべてには触れず、軽く話題に出す程度にとどめるつもりです。そこまで説明し始めると、ものすごく長くなってしまいますので^^;
生命の木
生命の木には、私たちの意識の在り方を表す10個のセフィラがあります。今日は二つのセフィラ、「マルクト」と「イエソド」についてお話ししたいと思います。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
▶︎マルクト(Malchuth):五感で生きる物質世界
マルクトは生命の木の最下部に位置し、私たちが日常的に経験する「現実世界」そのものです。私たちは皆、この五感で感じ取れる物質的な領域に生きており、時間や空間という制限の中で肉体を持って存在しています。
多くの人は、このマルクトの世界で、外側からの刺激に「反応的」に生きています。目の前の出来事に対して無意識的に反応し、同じパターンを繰り返してしまう。それは、マルクトという物質世界に意識が限定されているからなのです。
▶︎イエソド(Jesod):内なるビジョンの世界
マルクトの上に位置するイエソドは、まず「夢の世界」として現れます。夜、私たちが目を閉じ、五感を鎮めたとき、物質世界から離れて訪れる夢。それはイエソドの世界の一つの現れです。
しかし、イエソドの力はそれだけではありません。「こういう自分になりたい」「こんな未来を実現したい」という意識的なビジョンを創り出す力も、このイエソドが司っています。それは単なる想像ではなく、現実を変容させる力を秘めた創造的なイメージなのです。
▶︎マルクトからイエソドへ:意識の上昇
私たちの多くは、マルクトの世界で「反応的」に生きがちです。外からの刺激に左右され、同じ行動パターンを繰り返してしまう。スティーブン・コヴィーの『7つの習慣』が最初に「主体的に生きる」ことを説くのは、まさにこの状態からの脱却を促すためです。


イエソドへの意識の上昇は、「ちょっと待って、また同じパターンかも?」という気づきから始まります。それは、恋愛で起こることかもしれないし、仕事で起こることかもしれないし、人間関係で起こることかもしれません。
無意識によって同じ反応を選択することで、毎回同じエラーを繰り返してしまうこと。それを、イエソドへの上昇によって「無意識の習慣に気づき、断ち切っていく」必要があり、人が成長するためにこのプロセスは欠かすことができません。

ジョー・ディスペンザ著『あなたという習慣を断つ』では、このような無意識の習慣に気づき、それを変化させていく方法を説いています。
中でも、本書では、瞑想の効果について多くを語られています。視界を閉ざし、五感を鎮めていく。瞑想状態は、イエソドにつながりやすいのだと考えます。
▶︎タウのパス:二つの世界を結ぶ架け橋

マルクトとイエソドを結ぶ「タウのパス」には、タロットの「世界(The World)」のカードが割り当てられています。このカードには、踊る人物が描かれ、その周りを月桂樹の輪が取り囲んでいます。
なぜ、この二つのセフィラを結ぶ道に「世界」のカードが配置されているのでしょうか。「世界」のカードが示すのは、とても興味深い視点です。
マルクト:私たちの肉体を通し、五感で体験する完成された現実世界
イエソド:内なるビジョンと創造の世界
タウのパス/タロットの「世界」:この二つの世界を自由に行き来する「道」
「世界」のカードに描かれたダンサーの周囲を囲む枠は、私たちが生きるこの物質世界の制限、肉体、時間、空間を表しています。
しかし、その中でダンサーは踊っています。これは、制限の中にありながらも、自由に創造的に生きることができるという示唆ではないでしょうか。
「自分らしく思いきり生きたい」「この限られた人生を踊るように満喫したい」
こうした願いを実現するには、イエソドの力で明確なビジョンを描き、それをマルクトの世界で実践していく必要があります。
反応的になってその場にとどまる、被害者になるのではなく、自らが人生の挑戦者となり、主体的に挑戦と失敗を繰り返しながら、自分にとって理想の世界を創り上げていく。それこそが「世界」のカードが本当に意味するところなのです。
ただし、ここで一つ重要な注意点があります。思考が「不安」や「恐れ」で固定化されていると、未来のビジョンを描いたときに、かえって今を生きづらくしてしまう可能性があります。
「今を犠牲にして将来に備えなければ」という思考は、その典型です。未来への不安が強すぎると、過度な残業や節約を自らに強いてしまうかもしれません。
人生には、「今」しかできないことが無数にあります。
不安や恐れに飲み込まれ、このような極端な考えに陥らないために、ビル・パーキンスの『DIE WITH ZERO』が説く“人生の各段階で使うべきリソースは使う”という考え方は、とても理想的であると私は思います。

実は、この不安とのバランスの取り方には、他のセフィロトも深く関わっています
例えば、ホド(Hod):思考・分析の力、ネツァク(Nezach):情熱や感性の力、ティファレト(Tiphereth):調和と自己実現など
このように、生命の木全体を理解することで、より深い洞察が得られますが、それはまた順を追って、別の機会にお話ししたいと思います。

私たちの中には無限の可能性がある
重要なのは、この生命の木が示す「理想の人生を踊るように生きていく」力が、すでに私たち一人一人の中に備わっているということです。
それを使うか使わないかは、私たち次第。(使えない理由には様々なセフィロトが関わってきますが、それはまた別のブログでお話ししましょう)
マルクトの醍醐味
子育てが教えてくれた「制限」の素晴らしさ
マルクトが表すのは五感で感じ取れる物質世界。私にとって、その醍醐味のひとつは「子育て」です。なぜなら、子育てほど、肉体や時間という制限をリアルに感じられる経験はなかなかないからです。

私は、息子を産んだことで、全く新しい世界を知りました。
私の肉体を通して、この世に生まれてきた息子の、赤ちゃんだったころの匂い、息づかい、あたたかさ、小さくてもちもちの手と足、ふわふわの柔らかい髪の毛・・・それらを思い出すと、私の身体に記憶として刻まれている感覚が蘇ります。
しかし、それを「今」、五感で感じることはできません。
そしてそんな息子も、いつの間にか10歳になりました。体はずいぶんがっちりし、身長も体重ももうすぐ私を超すでしょう。もう赤ちゃんの頃の面影はわずかしかありません。
先日、息子の二分の一成人式にあわせて家族みんなで手紙を書き、10年分の写真を振り返りました。その瞬間に、「もうこの10年は取り戻せないんだな」と強く感じました。
この、幼少期の愛おしい瞬間に、もっと一緒にいたかったとか、仕事を優先せず息子との時間を大切にすればよかった、とか、後悔は山ほどあります。でも、過ぎ去った時間はもう戻ってきません。
だからこそ、五感そのものが、かけがえのない「今」の積み重ねだと実感するのです。

そして、私はイエソドへと意識を上げます。
「この先の10年をどう過ごすか」「後悔しないためにどんな行動・思考パターンに変えていくか」を考え、新しいビジョンを描くために。
具体的には、「これからの10年で、息子とどんな時間を共有したいのか」「娘との時間をどう充実させたいのか」「母として私はどうありたいのか」「そうあるために仕事はどうするのか」など、頭の中でイメージを膨らませ、そのために「今」できることを一つひとつやっていく。
行動を意識的に変化させていくからこそ、主体的に人生を創ることができるのです。これは、これまでもずっとやってきたことですが、もっとできると痛感しています。
そして、子供は何人でも産めるわけではなく、出産には肉体的な年齢の制限があります。そこもマルクトならではの真実です。
今後、身体は確実に衰えていきますから、「やりたいこと」をいつかいつかと先延ばしにするのは、本当にもったいないですよね。
一瞬一瞬を大事にする、その積み重ねが、この限られた人生に幸福や喜びをもたらしてくれるのです。
これも、タロットの「世界」のカードからの大切なメッセージであり、マルクトの気づきではないでしょうか。

人生を踊るために「今」を意識する
私たちが生きるこの現実世界、生命の木でいう「マルクト」は、確かに多くの制限に縛られています。
五感という枠、逆らえない時の流れ、衰えゆく肉体、そして生まれた場所による言語や国籍の制約。
でも、不思議なことに、そんな制限があるからこそ、「今ここに生きている」という実感がより鮮明に感じられるのです。
子育ての日々を通して私が深く感じたのは、「一瞬一瞬が、かけがえのない宝物」であるということ。これは、まさにマルクトという現実世界にしっかりと足をつけることの大切さを教えてくれました。
ただし、現実世界だけに意識を向けていると、視野が狭くなり、可能性が閉ざされてしまうこともあります。
そこで必要になるのが、イエソドの力です。
例えば、私はよくこんな想像をしています。
「日本以外の国に住むとしたら、どこの国がいいだろう?」
「英語がスムーズに話せたら、どんな人たちと交流したい?」
「家族で世界を旅するとしたら・・・」
「そのために、仕事はリモートでできる形に」
「必要な資金はどのくらいだろう」etc.

外からの刺激を一度シャットアウトし、静かに内側へ意識を向け、そこで描いたビジョンを一つずつ現実へと落とし込んでいく。たとえ失敗しても構いません。その経験さえも、私のイエソドの世界をより豊かにしてくれるのですから。
タロットの「世界」のカードが示すのは、まさにそんな踊るような人生。カードに描かれた輪は、制限でありながら、同時に私たちの踊り場でもあるのです。
もし今、その輪が窮屈な檻のように感じられるのなら、それは外の世界に反応するだけの生き方に留まっているのかもしれません。一度、目を閉じて内なる世界に耳を傾けてみませんか?
そのためのツールとして、私はジャーナリングをお勧めします。頭の中のイメージを言葉にし、書き留めていく作業は、マルクトとイエソドを行き来する効果的な方法です。続けることで、自分の中の無意識のパターンが見えてくるはずです。

私たち一人一人に与えられた時間と肉体は有限です。
だからこそ、今この瞬間は、なにものにも変えがたい宝物です。
「不安」や「恐れ」にコントロールされ続けるのではなく、愛からの選択をして、豊かさを手に入れ、踊るように生きていきましょう。
生命の木の知恵を通して世界を見つめ直すとき、きっと新しい景色が広がっていくことでしょう。このブログをきっかけに、あなたの「マルクト」にも、新しい光が差し込めば嬉しいです。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
