誰もが、心に傷を抱えて生きています。
その傷は、時として世代を超えて連鎖し、
また時として、私たちを深い気づきへと導く
道しるべとなります。
リズ・ブルボー著『五つの傷』を読んだ時、私は自分の中の傷を自覚しました。
私の場合、それは「拒絶」と「侮辱」という二つの傷でした。
いえ、五つの傷すべてを持ってはいると思いますが、特に突出しているのはこの二つという意味です。
小学生の頃、クラスメイトの前で先生に叱られた経験があります。その時の羞恥と無力感は、「侮辱」という形で私の心に深く刻まれました。
思春期の頃、好きな人に拒絶されたことも、仲が良いと思っていた友人に無視されたこともありました。
これらの経験は、「嫌われてしまうかもしれない」という拒絶の不安を私の心に深く根付かせ
私の中に、「嫌われないように相手に合わせる私」という仮面を生み出しました。
相手の機嫌を損ねないように。嫌われないように。自分の本音を押し殺し、望まれる自分を演じていることが「正しい」と私は信じていたのです。
そうしなければ、「私は人に嫌われてしまう存在なのだ」とエゴが囁くから。
人生の中で負った多くの傷から自分を守るために、私は知らず知らずのうちにさまざまな仮面をつけ、エゴにコントロールされながら生きてきたことを自覚しています。
傷の連鎖に気づく
大人になり、母親になってからも、仮面は私の中で機能し続けました。
そして、決定的な気づきは息子との関わりの中で訪れました。
息子を叱る瞬間、私の姿がかつての父と重なったのです。
私も昔、父にたくさん叱られました。
その時の「叱られたくない」「恥ずかしい」「怖い」という気持ちは、私の心に「侮辱の傷」として深く刻まれていたのです。
息子を叱る自分が、かつての父と重なり
そして、叱られる息子の姿が、幼い頃の自分自身と重なりました。
「こんなこと言われて、嫌だったな」
「叱られたくないな」
「また始まった」
その記憶が鮮明に蘇った時、私は気づいたのです。
私は自分がされて嫌だったことを、子供にしてしまっている。
これは、傷の連鎖でした。
父から私へ、そして私から子供へ。
この連鎖を、私の代で断ち切らなければならない。
その瞬間に、強く心に誓いました。
感情的になりそうな時は、深呼吸をして立ち止まる。
叱る前に、自分の中の「傷ついた子供の声」に耳を傾けるようになりました。
「なぜ私は、今こんなに怒りを感じているのだろう」
「この怒りの奥にあるものはなんだろう」
「私は子供を矯正しようとしているのではないか?かつて、私のエゴが、私にそうしようとしたように」
自分の中の過去の傷が疼き、仮面を正当化するために、自分を守るために、エゴによる育児をしていたことに気づいたのです。
それからは、子供の行動に感情で「反応」するのではなく、
「エゴ(すなわち自分のため)」と「本当の意味での子供のため」を精査し
徹底的に後者の在り方で寄り添うことを選びました。
「どうしたの?」
「そう感じたんだね」
「話してくれてありがとう」
「そのままでいいんだよ」
子供の気持ちに寄り添えば寄り添うほど、幼い頃の傷ついた自分にも寄り添えるようになりました。
「本当は、こんな言葉をかけてもらいたかったんだよね…」
「本当は、もっと気持ちを聞いてもらいたかったんだよね…」
私の中の子供の私に、そっと寄り添い、抱きしめました。
深い気づきの瞬間
そして、すべてが一つに繋がったのは、長女の誕生の時でした。
生まれたばかりの娘を抱いた瞬間、私ははっとしました。
赤ちゃんというのは、本当に光り輝いているのです。
そしてその光は、きっと大人になっても何一つ変わらない。内側でずっと輝き続けているのだと思います。たとえ自分に気づいてもらえなくても。
「ああ、なんて尊くて、愛おしい存在なんだろう」
何一つ不足はなく、完璧で、矯正などまったく必要ない。きっと、私が生まれた時も、そうだったはず。
私が叱られてきたのは、私に何かが足りなくて、恥ずかしい存在だからではなかった。
親にも傷があり、エゴがあったからなのだと、深く腑に落ちました。
子供は悪くない。親も悪くない。先生だって、きっと傷を抱えていたのです。
傷ついた人が、また誰かを傷つける。その連鎖の中で、私たちは生きている。
ただ、傷が連鎖していた。それだけだったのです。
新しい子育ての始まり
その瞬間から、私は娘に対しても息子に対しても「ありのままを愛する」という子育てを始めました。
子供たちの内なる光の輝きを曇らせてしまうことがないように。子供たちをまるごと肯定し、一人の人として信頼し、尊重する。
「あなたがそこにいるだけで、十分に価値がある」
このメッセージは、自分自身への深い癒しにもなりました。
自分の存在価値を証明するために頑張らなくてもいい。誰かの承認は必要ない。心から、そう感じられるようになったのです。
日々の実践として、私が大切にしていることは、
・完璧な親でなくてもいい
子育てにエゴは必要ない。
・そのままの自分でいい
子供の前で仮面をかぶる必要はない。親が心を開くからこそ、子供も心を開いてくれる。
・今、この瞬間を大切に
未来よりも今。子供達の一瞬の表情を見過ごさない。今この瞬間の子供の心を大切にする。
・今日、一緒に過ごせたことへ、毎日感謝する
今日、一緒に過ごせたことは「奇跡」なのだと、毎日、当たり前ではないその幸せを噛み締め、感謝する。
・毎日「大好きだよ」と伝える
明日も伝えられるとは限らないから。
世間の常識や、親のエゴを押し付けず、子供たちの話をたくさん聞いて、お互いの「好きなこと」を尊重する。まるで親友のように。
「家庭」という密室の中で、大人も子供も傷つかない関わり方を構築するためには、親の努力と忍耐が必要です。
この経験から私は、親が自分の傷に気づき、傷を癒すことが、次の世代への最も大切な贈り物になると確信しています。
私の感受性
私は幼い頃から、人の表と裏が視えていました。
表面的な笑顔の裏にある孤独や怒り、強い言葉の後ろに隠された不安や恐れ。それらは瞬時に、当たり前のように感じとれるものでした。
だからいつも、「何でこの人は言っていることと思っていることがちがうんだろう?」と子供ながらに不思議に思いました。
この感受性は、私の孤独感と、他人に対する恐れや不信感を強めたと思います。
しかし、様々な学びを得ていく中で、これらの感覚が少しずつ言語化され、理解できるようになっていきました。
「これは拒絶の傷からくる逃避反応なのだ」
「あれは承認欲求が満たされない渇望なのだ」
「内なる子供が愛を求めて叫んでる」
知識を得ることで、かつては漠然としていた感覚が、明確に視えてくるようになりました。
そして、今はわかります。
私たちは他人に傷つけられるだけではなく、必ず誰かを、自分自身を傷つけています。
私も自分を守るために、たくさんの人を傷つけてしまいました。
被害者としての傷に苦しみながら、加害者としても罪悪感に苛まれ、自分自身を傷つけてきたのです。
しかし、どんなに自分を責めても、環境や誰かを恨んでも、傷は決して消し去ることはできません。
誰かに傷つけられた自分も、誰かを傷つけてしまった自分も、受け入れ、愛し、傷と共に前に進むことが大切です。
その傷があるからこそ、私たちは深く学び、成長することができ、
傷を癒していく過程で、本当の自分に出会い、そして魂の目的にたどり着くことができるのです。
今後の抱負
原点に立ち返り、私はこれからも、誰かの心に寄り添い、傷を癒すサポートをしていきたいと思います。
まだまだ旅の途上で、学びは永遠に続きますが、これからも穏やかに、着実に歩んでいきたいと思います。
2025年も、皆さまにとって癒しと気づきの多い一年となりますように。最後までお読みいただき、本当にありがとうございました。
カードからのメッセージ
「魂の傷」
あなたが今感じている痛みや迷いは、
魂の深い部分に刻まれた「古い傷」が
疼いているサインかもしれません。
不公平に感じたこと、見捨てられた記憶、
拒絶や裏切り、屈辱の感情…。
あなたの中に、今もっとも響いているのは
どんな傷ですか?
あなたの魂は、癒されることを求めています。
傷を見つめ、受け入れることで、
あなたは成長し、
光の方へと進むことができるでしょう。
あなたは「傷ついた人」ではなく、
「傷を光に変え、成長し続ける人」
であることを忘れないでください。
この経験は、あなたが自分を深く理解し、
魂の真の輝きを取り戻すためのギフトです。
「私は、過去の傷を光に変えます。
私は、自分のすべてを愛します。」