【存在という祝福】曇りガラスの向こう側の真実

 

 

 

お久しぶりのブログ更新となりましたが、

皆様、お元気でお過ごしでしょうか。

 

この数年の間、私は何度か発信を試みては、

また静かに引いていくことを

繰り返してきました。

 

SNSを始めてみたり、

YouTubeで語りかけてみたり…

 

でも、そのたびに自分の内側で、

何かが引っかかるのを感じました。

 

それは、まだ私の中に存在している

「エゴ」との対話だったのかもしれません。

 

「これは、本当に私の真実の言葉だろうか」

 

そんな問いかけが内側から聞こえてくると、

私はそっと発信をお休みして、

自分の心を整えることを選択してきました。

 

エゴに気づき、少しずつ手放していく。

それは今も続いている穏やかな旅路です。

 

決して、完全に

エゴがなくなったわけではありません。

 

けれど、今なら、自分の中の

より深い場所から湧き上がる言葉を

紡いでいけるような気がします。

 

ですから、この度

ブログを再開することにしました。

 

今日は、この数年の間に、

私の内側で起こった静かな変容について、

心を込めてお伝えしたいと思います。

  

 

2019年 6月

私は第二子となる娘を授かりました。

https://ameblo.jp/lilybelltoyohashi/entry-12483406539.html

 

小さな命との出会いは、

ただの「子供の誕生」という以上の、

深い気づきを私にもたらしてくれました。

 

それは、私自身が

「生まれ直す瞬間」となったのです。

 

長い間、私は気づかないままでいました。

自分の心に、そっと忍び寄るように

住みついた「エゴ」という存在を。

 

エゴは、まるで私たちの中にいる

もう一人の自分のように、

 

いつも「こうしなければ」「ああでなければ」

と私たちに執拗に囁きかけ続けます。

 

でも、それは、

「本当の私」ではありませんでした。

 

それは社会の中で形作られた「仮の自分」。

 

周りの期待や、自分への重圧が

積み重なってできた

影のような存在だったのです。

 

長男が幼かった頃、

私はいつも追われるように生きていました。

 

良い母親でなければならない、

キャリアも両立させなければならない、

周りから認められる存在でなければならない―。

 

そんな「ねばならない」が重なり合って、

私の中のエゴは

どんどん大きくなっていきました。

 

このエゴは、絶え間なく私を追い立てます。

 

常に比較の世界に生き、

私を叱り、否定し続ける。

過去で私を評価し、揚げ足を取り続ける。

 

他者より秀でていなければと焦らせ、

劣っているのではないかと怯えさせる。

 

そうして、私の存在価値は、

蝋燭の炎のように揺らぎ続けていたのです。

 

 

今なら分かります。

エゴが強く存在する限り、

本当の安らぎを得ることがどんなに困難かを。

 

達成しても、また次の目標が現れ、

認められても、また新しい承認を求め、

 

終わりのない戦いの中で、

自分を見張り、気を張り続ける日々。

 

表面上は幸せそうに見えていても、

内側では不安や焦り、

時には嫉妬の感情に苛まれ

 

思考は休まることを知りませんでした。

 

でも、エゴは私たちの本質ではないのです。

 

それはただの曇りガラスのようなもの。

優しく拭き取ることのできる

薄い膜にすぎません。

 

その向こう側には、

比較も評価も必要としない、

在るがままの美しさが息づいています。

 

それが「I Am」

「私は在る」という、ただそれだけの真実。

 

 

娘の誕生は、

この真実を優しく、

でも確かに私に示してくれました。

 

小さな娘を抱きしめながら、

小さな娘の寝息を聴きながら、

小さな娘の手や頬に触れながら、

 

私はいつも、静けさと、

深い気づきに包まれていました。

 

まだ何もできない、

ただそこに在るだけの存在

 

でも、なんて愛おしく

なんて完璧なのでしょう・・・

 

この小さな命には、

何かを証明する必要も、

誰かに承認される必要も、

完璧であろうとする必要もないのです。

 

ただ在ることが、

それ自体が深い祝福であり、

温かな優しさそのものです。

 

娘を育てる日々は、まるで

自分自身を育て直す静かな旅のようでした。

 

娘と微笑み合う

そんな何気ない日々の瞬間の中で、

私は少しずつ変わっていきました。

 

特に0歳から2歳になるまでの時間は、

まるで二重写しのような不思議な日々でした。

(今はもう、その感覚を感じることはなくなってしまいましたが・・・)

 

娘の感情に寄り添いながら、

自分の感情とも向き合い

 

娘の存在を慈しみながら、

自分の存在をも受け入れていく

 

そして、ふいに訪れる深い気づきの瞬間。

 

心の奥深くにしまい込んでいた感情が、

まるでフラッシュバックのように蘇るのです。

 

昔、自分の意思を無視されて感じた悲しみ

存在を軽んじられた時の痛み

 

様々な記憶が長い眠りから目覚めるように

意識の表面へと浮かび上がっては、

やがて溶けて消えていきました。

 

そうして、少しずつ、

私の中にあったエゴという曇りガラスは、

本来の透明さを取り戻していくのです。

 

 

この体験を通して、私は深く感じました。

 

誰もが本来、

ありのままで美しく、

かけがえのない存在なのだということを。

 

不足など何ひとつない、完璧な存在なのだと。

 

ですが、多くの人は、それを人生の中で

忘却してしまうのかもしれません。

 

だからこそ、私は自分のセッションに、

「Essence of I Am」という名前を

添えることにしました。

 

エゴという

曇りガラスの向こう側にある

真実を知り

 

本来の美しさを

もう一度取り戻すための

静かな旅路となることを願って。

 

その真実は、常に私たちを

「今この瞬間」の尊さへと導くでしょう。

 

なぜなら、本当の自分とは

「今ここ」にしか存在しないからです。

 

過去でも、未来でもなく。

 

 

その気づきを大切に育みながら、

私はエステティックやアロマセラピー、

カードリーディングを通じて、

 

皆様の内なる光と

繋がりたいと思っています。

 

優しいタッチで肌に触れるとき、

アロマの香りを深く吸い込むとき、

カードの絵柄に静かに心を向けるとき、

  

それぞれの瞬間が、日常から少し離れて

本当のあなたと優しく向き合う

木漏れ日のような輝く時間となりますように。

 

その穏やかな瞬間に、共に在ることを

私は何より楽しみにしています。

 

あなたも私も、誰もが、

ただ在るだけで素晴らしい

かけがえのない存在なのですから。