愛するということ/エーリッヒ・フロム【愛の考察II】

 

 

愛は技術である。

 

「愛」によって、永遠に人と結ばれ、孤独を克服する為には、人を愛せるようにならなければなりません。

 

なぜなら、人を愛せない人は、人の中に愛を生み出すこともできないからです。

 

だから私たちは、愛の意味を学び、その技術を習得する為に習練をしていかなければならないのだと、Iではお伝えさせて頂きました。

 

ここからは、「愛の理論」について。

 

フロムの言葉と共に、考察していきたいと思います。

  

 

愛の理論を学ぶ上で、とても重要な鍵となるのは「母の愛」です。

 

母と子は、子が胎内にいる時から、この世に誕生しても、しばらくは共同体です。乳児は一人では生きていけませんから、母は子の命を維持する為に、昼夜最善を尽くします。

 

子は、生れ落ちたこの世界のことも、自分自身のことも認識できない段階から

 

“この腕の中は、とても温かくて柔らかい”

“泣けば抱いてくれ、心配し、配慮をしてくれる”

“お腹が空けば、お乳をくれ、優しく微笑んでくれる”

 

そういった、一つ一つの経験から、母という存在は、安全で心安らげる場所なのだと本能的に学んでいきます。

 

乳幼児期に母から受ける、この受動的な愛。

 

無条件の愛を与え続けてもらえたという経験

ありのままの自分を愛してもらえたという経験

 

それらはやがて、一つに統合され

 

“自分は愛される価値のある存在”

“私が私だから愛される”

 

という確信へ結晶化されていくのだとフロムは言います。

 

それが、いわゆる「自己肯定感」という感情でしょう。

 

自己肯定感とは、自らの価値や存在意義を肯定できる感情のことをいいます。人を建築物に例えるとしたら、自己肯定感は正に「基礎」土台の部分です。

 

人格形成に於いて、基礎を築く最も重要、且つ、やり直しがきかない時期は、大脳辺縁系が発達する6歳頃まで。特に、1歳〜3歳は極めて重要だと考えられています。(※大脳辺縁系…人が人として生きていく為の本能、感情的思考回路・記憶、愛着等を司る脳の部分)

 

幼少期の家庭の在り方、母の在り方がいかに重要であるかを痛感しますね・・・

 

 

ですが、こういった愛の性質は、依存的な「共棲的結合」であり、子の自発的な成長を阻む愛だとフロムは言います。

 

人はもともと、強い向上心を持っており、母の過度な愛により生まれる依存心や執着心、利己的にコントロールしようとする過干渉な言動は、子どもの向上心や成長、自律を妨げてしまうのです。

 

“私が無力だから、愛される”

“私が良い子だから、愛される”

 

子は成長と共に、このような自己中心的な思考。

 

受動的に愛を受ける状態からは抜け出して、

 

今度は能動的に人に愛を与え、人を愛する喜びを知り、自らの中に愛を生む能力が内在していることを感じなければなりません。

 

そして母は、子の健やかな成長を願い、配慮し、見守っていく責任を全うすべく努めなければなりません。

 

“子は無力で、私が必要だから”

 

そのような自己中心的な所有欲、支配欲によって優しくする、愛するという、未熟な愛から

 

すべてを与え、相手を信頼、尊重し、愛する者の幸福以外何も望まない、成熟した愛へと

 

己の人格を高め、内面を強く成熟させることで昇華させていくという修練が必要です。

 

子への依存や執着を断ち、完全なる利他の心で見返りのない崇高な愛を与え続けられる女性。

 

自分の存在に、しっかり根をおろしている女性だけが

 

本当の意味で、人を愛することができ子どもが成長しても、愛情深い母親で在れる人

 

 

母性愛には二つの側面があり、聖書では、「乳と蜜」という表現で描かれているそうです。

 

「乳」は、世話と肯定の象徴として。

 

「蜜」は、人生の甘美さや、人生への愛。生きていることの幸福の象徴として。

 

フロムはこう言います。

 

母性愛は、子どもの生命と必要性に対する無条件の肯定である。

 

子どもの生命の肯定には二つの側面がある。

 

一つは、子どもの生命と成長を保護するために絶対に必要な、気づかいと責任である。

 

いま一つの側面は、たんなる保護の枠内にとどまらない。

 

それはすなわち、生きることへの愛を子どもに植えつけ、「生きているというのはすばらしい」といった感覚を子どもにあたえるような態度である。(中略)

 

たいていの母親は、「乳(世話と肯定)」を与えることはできるが

 

「蜜(人生への愛、甘美、生きる幸福)」も与えることのできる母親は、ごく少数である。

 

蜜を与えることができる為には、母親はたんなる「良い母親」であるだけではだめで幸福な人間でなければならない

 

—『愛するということ』第2章 愛の理論より、一部を引用 —

 

私が自身のサービスを通して、ご提供したいもの、お伝えしたいことに通ずるものがあり、とても感慨深い学びがあります。

 

カードリーディングを通し、またコーチングを通し、自他とのコミュニケーションの質を高めることで己の内面を成熟させ、大切な人の成長を効果的に促し

 

「乳と蜜」を与えることができる母でありたいと私自身も願っておりますし、

 

今、育児に奮闘しておられるすべてのお母さんにも、先ずはご自分を大切にしてほしいと思います。

 

世間で言われる「良い母親」になろうと自分を枠に閉じ込めたり、自分を犠牲にするのではなく、

 

自分らしい育児をしながら、己の生きる喜びと生きる意味を見出し、幸せを追求し続ける背中を、子供に魅せていくことが大切なのではないかと感じています。

 

 

最後に・・・

 

人を愛する為には、「自己信頼」と「勇気」が必要です。

 

フロムはこう言います。

 

愛の技術の習練には、「信じる」ことの習練が必要

 

自分自身を「信じている」者だけが、他人にたいして誠実になれる。

 

—『愛するということ』第4章 愛の習練より、一部を引用 —

 

貴方には、この意味が理解できますでしょうか。

 

人と愛し合う為には、自ら愛を与え、相手の中に愛を生み出す必要があります。

 

相手が自分を愛してくれるかどうか。それは、保証のないことです。

 

相手に拒絶されること。自分が傷つくこと。

 

様々なリスクを覚悟の上で

 

それでも自分を信じ、勇気を持って相手に一歩踏み込むという「行動」こそが能動的に愛を与えるということです

 

自己防衛に必死で、自分だけが可愛い自己中心的な人には、能動的に人に愛を与えることはできません。

 

そして、その勇気は信念から生まれるのだと思います。

 

自分の中にある、揺るぎのない「芯」

 

経験や、洞察から生み出される、自己の根拠に根ざした「信念」を持つ人は

 

私の愛は、彼にとって信頼に値するものであり

 

彼の中にも、必ず愛を生むことができると

 

自分の愛に、覚悟と確信を持つことができるのです。

 

自らの愛を、心から信じることができる人だけが

 

真っ直ぐ、誠実に

 

人を愛するということができるのではないでしょうか